単純な理由
「D&Dは怖い」という意見がある。
正確には、スパルタ式にD&D道を押し付ける老害が怖いというのがあるらしい。
その最たるものは、次のようなモノらしい。
「このスキルは最大にしろ」
「この呪文は必ず用意しろ」
冷静に考えて欲しいのだが、スキルを最大にしろというのは、一体どういうことだろうか? 呪文を用意するというのはどういうことだろうか?
最小公倍数的な言い方をすれば、LV+3がスキルの最大値だ。これに能力値とかフィートが足される。
そして、ダイス目だ。
ここが肝心な部分なので注意して読んで欲しいのだが、3.0以降のD&Dでは、スキル判定のダイス20面だ。
言うまでも無いが、20面で20を出すのは難しいし、それだけに出ると嬉しい。
では、その難しくて嬉しい出目で判定が失敗したら、どうだろうか?
多分、大抵の人はつまらなく感じると思う。きっとね。
エスパーじゃないから保障はしないけど。
この時、もしスキル値が最大だったら、まだつまらなさは少なくて済むのじゃないだろうか?
現実問題として、準備段階(スキル値の割り振りの段階)でも、ダイスロールの段階(20を出した)でも、これ以上無いベストを尽くしたのであれば、諦めがつきませんか?
もう一つ。
スキル判定、特にローグが行う各種判定は、パーティ全体の方針を左右する事が多いです。
行く先をさえぎる扉のカギを、静粛に開く事が出来るかどうかは、解錠の魔法を使うかどうかや、物凄い音を出して破壊するかへと続きます。
では、パーティ全体の方針を左右すると知っていて、それでもスキル値を最大にしておかない人って、何なんでしょう?
多人数で遊ぶゲームで、全体に影響する部分で、特に理由無く全力を尽くさないとしたら、それってホントに仲間の一員なんですか?
全員が、自分達みんなの行動を左右するダイスロールに注目している。
出目は20だった。
しかし、達成値は足りなかった。
スキルが最大値だったら足りていた。
こんな時、どう感じますか?
自分自身が、つまらないと感じませんか?
仲間の視線に耐えられますか?
いや、あなたが厚顔無恥で耐えられるとしても、周りには白けた雰囲気が漂いますよ。
スキル値を最大にしておけというのは、自分の為であり、みんなの為であり、場の雰囲気のためでもあるんですね。
これって、スパルタですか? 押し付けですか? 老害の傲慢ですか?
呪文の選択も同じような事です。
詰みにハマる事を回避するには、最低限の事前準備が必要です。
限りのある貴重な自前のスロットに入れるべき呪文と、安い巻物で充分な呪文の区別はつきますか?
味方が固まった時に、すぐに助ける呪文がどれだか知っていますか?
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人はなぜ怒るのか?
単純です。
その人が困る事が起ったからです。
テーブルトークでは、特にD&Dでは、隣に座っている人は味方です。
味方が困る。
それをを防ぐ。
そのために必要な手段を提示する。
少なくとも、割り切れるだけのコトをしておく。
スキルを最大にするとか、
呪文を取っておくとか、
あなたが老害の苦行主義だと決め付けている事は、自分自身と味方全部が困らないようにするための準備です。
「正しい姿勢で素振りをしろ」といわれて反抗するのは、せいぜい中学生までにしましょうよ。